先月7月頭に、GoogleのChrome OSが発表された。Linuxカーネル + 軽量ウィンドウマネージャ + Google Chrome Webブラウザという構成を取るといわれるこのOSは、いわゆるシンクライアントを最低限のハードウェアリソースで実現するための環境となると推測される。ただし、従来の企業向け用途の単なるシンクライアントではなく、ビデオ再生や3Dなど、ハードウェアリソースを要求するリッチメディアがWeb上で当たり前のようにやりとりされている現在や近未来のパーソナルコンピューティング環境をも視野に入れていることは間違いないだろう。
これが、かつてOracleが提唱したネットワークコンピュータを越えていくものとなるかどうかは、実際のプロダクトの出来を見なければ、占うにはまだ早すぎるといわざるをえない。それでも、Google Chromeに続きChrome OSによって、Googleが考えるところの理想のクライアント環境を実現しようとする動きは、きわめて自然であるし、一貫性があるといえる。しかし、この一貫性は、単にGoogle内部で完結しているものではなく、歴史的な流れの中のある一点で、たまたまGoogleという企業が、マイルストーンとして一般に認知される発表を行うことを可能とするリソースや動機を有していた、という見方もできよう。
この仮想的な歴史をめぐる可能世界で、Chrome OSの前駆者として、またもう一つの可能性として念頭にあるのは、Microsoftの活動だ。今年の2月に発表されたGazelleは、プリンシパルベースのセキュリティという概念を主軸に置いて、Google Chromeより徹底したセキュリティアーキテクチャのWebブラウザを、OSをも巻き込んだ形で実装してしまおうという試みである。このアプローチは、Google Chrome実装の経緯と、興味深い鏡像関係を成している。Google Chromeの実装者らは、Windows上でセキュリティサンドボックスを実現するために、Windows XP SP2の実装に深く依存せざるを得なかった。市場を独占するOSのAPIや実装を管理できるというリソースを持ち合わせるMicrosoftにとっては、そのあたりの苦労は、技術的なものではなく、単に手続き的なものでしかない。そして、Gazelleが理論として存在したとしても、それが実際の製品に生かされるかどうかは、別の次元の話である。
Gazelleという試みと別の次元で並行して走る現実世界でのMicrosoftの問題は、法的な懸念である。1997年のInternet Explorer 4で、MicrosoftはOSのシェルとWebブラウザの統合を図った。その余波が、WebブラウザなどのコンポーネントをOSに同梱する際に紛糾するというヨーロッパでの今日的状況にまで及んでいる。この、法的な懸念をかわしつつ、MicrosoftがGazelleを実現しようとするならば、必要な機能のほとんどはOS側に盛り込んで、それを自社のWebブラウザからだけではなく他社からも利用できるようにすることになるだろう。Webブラウザというアプリケーションに固有の部分は、3層アーキテクチャでいえば、データの表示を司るいわゆるプレゼンテーション層や、Webブラウザ固有の操作に限定されたビジネスロジック層に限ったものとなり、データのやり取りを管理するデータ層は、OSが引き取ることになる。
ここで、Webブラウザの話に戻ると、Google Chromeの構成は、すでにそのような階層を前提としている。データのやり取りや管理を行うカーネルと、データの表示を行うレンダラーの分離は、Gazelle的なOSにおけるOSとアプリケーションの関係にそのままあてはまる。であれば、GoogleもまたOSに向かうのは当然の流れだろう。その意味で、Google Chromeとは、Windows等のOSの中に、Googleの植民地としての仮想OSを構築するという試みであったといえる。そして、仮想OSをOSに変えるには、ハードウェアとの仲立ちを行ってくれる層(たとえばLinuxカーネル)があればよい。
Webブラウザを仮想OSとしてとらえ、各々の機能を別プロセスに分けサンドボックス化してセキュリティを担保するという構成自体は、Google Chromeが初めてではない。2008年3月に発表されているOpus Palladianumは、まさにそのような実験だった。そこでの課題は、パフォーマンスである。データの流れに対して要所要所で監査が行われるため、そのためのレイテンシ増大が問題となっていた。これに対し、Google Chromeの場合は、機能分割の粒度を下げたり、各々の部品の最適化を進めることで、現実解を導いている。
いずれにせよ、ネットワークリソースのサンドボックス化、仮想マシン化、そしてクラウド化というトレンドは、最早後戻りのないポイントにまで進展してきている。この現実(Red Pill)を受け入れ、積極的に生かすことができるか、もしくは幸福な幻想(Blue Pill)のもとに留まるか - 今後数年で、さまざまな選択と、その結果を目にすることになるのは間違いない。
これが、かつてOracleが提唱したネットワークコンピュータを越えていくものとなるかどうかは、実際のプロダクトの出来を見なければ、占うにはまだ早すぎるといわざるをえない。それでも、Google Chromeに続きChrome OSによって、Googleが考えるところの理想のクライアント環境を実現しようとする動きは、きわめて自然であるし、一貫性があるといえる。しかし、この一貫性は、単にGoogle内部で完結しているものではなく、歴史的な流れの中のある一点で、たまたまGoogleという企業が、マイルストーンとして一般に認知される発表を行うことを可能とするリソースや動機を有していた、という見方もできよう。
test 1
この仮想的な歴史をめぐる可能世界で、Chrome OSの前駆者として、またもう一つの可能性として念頭にあるのは、Microsoftの活動だ。今年の2月に発表されたGazelleは、プリンシパルベースのセキュリティという概念を主軸に置いて、Google Chromeより徹底したセキュリティアーキテクチャのWebブラウザを、OSをも巻き込んだ形で実装してしまおうという試みである。このアプローチは、Google Chrome実装の経緯と、興味深い鏡像関係を成している。Google Chromeの実装者らは、Windows上でセキュリティサンドボックスを実現するために、Windows XP SP2の実装に深く依存せざるを得なかった。市場を独占するOSのAPIや実装を管理できるというリソースを持ち合わせるMicrosoftにとっては、そのあたりの苦労は、技術的なものではなく、単に手続き的なものでしかない。そして、Gazelleが理論として存在したとしても、それが実際の製品に生かされるかどうかは、別の次元の話である。
Gazelleという試みと別の次元で並行して走る現実世界でのMicrosoftの問題は、法的な懸念である。1997年のInternet Explorer 4で、MicrosoftはOSのシェルとWebブラウザの統合を図った。その余波が、WebブラウザなどのコンポーネントをOSに同梱する際に紛糾するというヨーロッパでの今日的状況にまで及んでいる。この、法的な懸念をかわしつつ、MicrosoftがGazelleを実現しようとするならば、必要な機能のほとんどはOS側に盛り込んで、それを自社のWebブラウザからだけではなく他社からも利用できるようにすることになるだろう。Webブラウザというアプリケーションに固有の部分は、3層アーキテクチャでいえば、データの表示を司るいわゆるプレゼンテーション層や、Webブラウザ固有の操作に限定されたビジネスロジック層に限ったものとなり、データのやり取りを管理するデータ層は、OSが引き取ることになる。
test 2
ここで、Webブラウザの話に戻ると、Google Chromeの構成は、すでにそのような階層を前提としている。データのやり取りや管理を行うカーネルと、データの表示を行うレンダラーの分離は、Gazelle的なOSにおけるOSとアプリケーションの関係にそのままあてはまる。であれば、GoogleもまたOSに向かうのは当然の流れだろう。その意味で、Google Chromeとは、Windows等のOSの中に、Googleの植民地としての仮想OSを構築するという試みであったといえる。そして、仮想OSをOSに変えるには、ハードウェアとの仲立ちを行ってくれる層(たとえばLinuxカーネル)があればよい。
Webブラウザを仮想OSとしてとらえ、各々の機能を別プロセスに分けサンドボックス化してセキュリティを担保するという構成自体は、Google Chromeが初めてではない。2008年3月に発表されているOpus Palladianumは、まさにそのような実験だった。そこでの課題は、パフォーマンスである。データの流れに対して要所要所で監査が行われるため、そのためのレイテンシ増大が問題となっていた。これに対し、Google Chromeの場合は、機能分割の粒度を下げたり、各々の部品の最適化を進めることで、現実解を導いている。
いずれにせよ、ネットワークリソースのサンドボックス化、仮想マシン化、そしてクラウド化というトレンドは、最早後戻りのないポイントにまで進展してきている。この現実(Red Pill)を受け入れ、積極的に生かすことができるか、もしくは幸福な幻想(Blue Pill)のもとに留まるか - 今後数年で、さまざまな選択と、その結果を目にすることになるのは間違いない。
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