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DICE version 0.1

標題の通り、ようやくDICEのバージョン番号付き正式リリースを迎えることができた。サーバアプリケーションに要求される一定水準のavailabilityを達成したことにより正式という冠とバージョン番号を付けた。そもそもバイナリは2週間以上前に出来上がっていたにもかかわらず他の作業に充てる時間の都合が付かず配布にこぎ着けるのが遅れてしまった。これからも評価版としての配布が続行される。運が良ければ年内にもう一度だけ バージョンアップできるかもしれない。現在DICEは少なくとも2つの点でMicrosoftが提供するあるコンポーネントに依存しているのでどちらか、もしくは双方を取り除き代替物を組み込む予定である。DICEのコアを利用した別のアプリケーションも作りたいけれど時間がない。とにかく生産性を上げる手段を見つけるしかない。この無力感をどう償えばよいだろうか。少なくともこの鬱陶しいサイトの更新で焦燥が紛れないのは確かだ。

DICE作成着手前に、過去のソフトウェアと領域が重なる無駄なものを書かないよう(誰が今日Yet another HTTP/FTP/... server/clientを必要とするだろうか)調査を行ったのはもう1年以上も前のことになる。残っている最初のソースコードスナップショットの日付 は2001年の米国WTC事件の日付である。2002年9月11日のSlashdotOSDN系列(日本語由来の単語keiretsuが実際にSlashdotの人間により皮肉を込めて用いられる)上部の広告バナーは全て9.11.01とだけ右下隅に記した喪章を表す黒い矩形だったのを覚えている。その日の何日か前に前回ここにSlashdotについて書いた後で私の提出したstoryが取り上げられた。執拗に提出を続けて10分で却下されることもあった身としては思いがけず自分の投稿を発見したときは思わず頬を緩めてしまった。400を超すreplyがあり(funnyが多かったのはともかくとして)、2chのスレ立てに反応の量では下回るものの自己満足としては悪くない。東アジアの2chに同じく、Slashdotは西側世界で認知された一つの現象であり、しかも2chのように興味が分散しているのではなくcover storyに幾らとも知れない多数の人々の視線が集中する(アカウント制なので興味のないトピックは無視できるというのはまた別の話だ)。

ここしばらくPCゲーム自体にやや縁遠くなっていた。そんな時に大作という評判にとりあえず手を付けたMafiaが最初は疑わしかったものの実際は深く広い作品だったので反動で没入することになってしまった。エンディングのスタッフロールを見てぶっ飛んだが製作のIllusion Softworksはチェコ/スロヴァキアの会社でプログラミング以外のスタッフ/アーティスト/声優他も皆チェコ人らしき名前だった。こんなわかりやすい形で壮大なゲームは奇を衒ってばかりの日本の会社には無理だろう、残念ながら。

ところで私のこのサイトには結構Morrowindを検索して飛んでくる人がいるが全く関連情報はないことを断っておく。拡張パックTRIBUNALが今回リリースされるMorrowindは抑えたデザインが美しく、見るからに垢抜けないMight & Magicなどより対象年齢が高そうに見えるが、Dungeon Siegeをやった後だとNeverwinter Nights(こ れもやり始めてすぐに放棄)ですらまだるっこしく見えるのだから、とてもではないがそんな大作など息をつきながらプレイする気にはなれない。FPSでス トーリーが付いているものがいいところだ。今後の人生で純正のRPGを最後までプレイする機会が果たして訪れるだろうか。Fallout以降のBlack Isle Studiosの小さなキャラがちょこちょこ動くタイプのRPG用エンジンは見るに堪えないので何故あんなものが高い評価を受けているのか理解できない。嫌いと言えばRTSは無意味な作業に時間がかかるので嫌いである。そんな私でもGTA3と並ぶ最近一番のヒット作Warcraft IIIは随分前にクリアし、シナリオがきっちり構成されたシングルプレイキャンペーンで主人公級のキャラクターによる大量虐殺や父殺しという日本の子供向けゲームではあまり現れないであろうものがあっさり描かれていたのが印象的だった。

そしてUnreal Tournament 2003で ある。デモですら相当に遊べるパッケージに仕上がっていたこのゲーム、完成版は納得の出来だった。前作同様、同時期のFPSと比べて明らかにエンジンの完 成度が高くGeforce4 Tiでプレイすると高FPSを叩きだしてくれる。延期を繰り返しただけのことはあり期待を裏切らない作品になった。ただAssault Modeが無くなり、作品のトーンもコンソールを意識したのかやや軽いノリになっているのでその辺り意見が分かれるかも知れない。そうはいってもボール ギャグを口に嵌めた犯罪者が飛び回りながら他の競技者を虐殺するという展開のゲームなのであとは推して知るべしといったところか。ただ、シングルプレイを 終えてみると、デモをやっていた頃はいくらでも遊べそうな気がした物が単調な繰り返しに思えてきて滅入ってしまった。こうなってくると年内に出るか出ない か情報が錯綜しているUnreal IIの方へ期待したくなる。短時間のアーケードプレイよりじっくり楽しめるシングルプレイの方が私は好きである。前作は主人公が囚人という設定で、陰鬱な、しかし美麗に仕上げられたグラフィックを用いて構成されたタイトルだった。これもUT 2003と同じくIIでは子供受けする軽いノリに変更されてしまうのではないかという点が気がかりだ。

そしてDICEのリリース遅延は、最近AOMを始めたことにも一因がある。前作は難易度が高く最初から放棄し、またRTS自体時間を無為に過ごす感覚が払拭できず嫌いなジャンルなのだが例外が無いわけではなかった。今作はWarcraft IIIを追うかのようなストーリー/ヒーロー重視のキャンペーン設定でしかもWarcraft IIIよりは幾分か地味な印象すら受ける。にもかかわらず何故かその淡白なところに惹きつけられた。長く完成が待たれていた大作だがメディアのセンセーショナルな反応もないのが面白い。ゲームをプレイしてみて気付いたのはとにかく軽いアプリケーションであるということだ。

ほかにネットでよく見るものといえばPhoenixBugzillaくらいだろうか。PhoenixとはMozillaプロジェクトの一つで重量級のMozilla本体とは毛色の異なる軽量ブラウザパッケージを作るというプログラムである。私が旧Netscapeからの流れでMozillaの常用を考慮する場合にどうしても解決して欲しかったバグがあるのだがMozillaでは1年近くもそのパッチが出ているにもかかわらずレビューが停止しており最近見切りを付けて全面的にIE系へ向かうところだったのが、Phoenixではそれが解決されていたので一気に惹かれていった。上述のパッチを書いた人間がPhoenixの方へ強くコミットしていたので納得したが、とにかくMozillaよりは追跡プロセスが早い。バグと言ってもBugzillaの場合広義のバグとして機能拡張の要求まで含んでいるので機能不全としての狭義のバグを報告するついでに他人任せの要求を出して楽しんでいる。PhoenixMozillaの死骸から復活するというメタファは面白い。

Slashdotでは日本製の電子ガジェットについての話題がしばしば取り上げられ、日本人についての賛否含む言及も付随して現れる。日本人がLとRの発音を区別できないことを揶揄して'rinux'という表記も散見されるが、その他に"All your base are belong to us"という一文がジョークとして何度も挿入されているのに気付いた。説明も無しで意味不明なので検索したところ面白い日本語のサイトを見つけた。Jap-O'-Lantern内の、Jap in the Boxがそれであり、洋ゲー好きには感涙物の、海外ゲームが取り上げる奇妙な異世界としての日本が集成されている。"All your base are belong to us"をめぐる事情についても非常に詳しい。そしてまた抑えたコメントの挑発的なこと... 資料サイトに付されたコメントまで気が利いている。Jap-O'-Lanternはその他のコーナーの内容も、デザインも本当に見応えがある(実はゲームの話などよりも別の部分の、日本のJavaの雑誌などによく登場するある企業の成り立ちについての言及が興味深かったのである)。愛が溢れている。必見である。

海外ゲーム中の日本について述べている側から、Devastationという近々リリースされるであろう新Unrealエンジンベースのゲームの舞台として極東(日本とは明記されていない)が登場するらしい。新Unrealエンジンによる日本の神社(?)の精緻な描写は見応えがある。ちなみにDevastation販売元のARUSH EntertainmentDuke Nukem: Manhattan Projectという非核三原則に抵触しそうな名称のゲームの販売元でもある。そちらは懐かしい横スクロール型のコナミコントラクローンでバカゲーっぷりが良い。同時にクソゲーでもあるけど。こっちはいつ出るの?

世界の非対称性はオリエンタリズムを論じたり9.11.01を引き合いに出したりするまでもなく自明だ。洋の東西を問わず日々新しい歴 史が形成され、そして失われる。この無力感を、どう償えばよいのだろうか。圧倒的な忘却の進行を止める術はなく、我々にできるのは、テロリズムに訴えるこ とを除けば、ただ笑うことのみである。

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